Text by 白尾芽
長野県松本市のまつもと市民芸術館は、2024年に開館20周年を迎えた。同年4月には芸術監督団として木ノ下裕一(団長・演劇部門芸術監督)、倉田翠(舞踊部門芸術監督)、石丸幹二(ゼネラルアートアドバイザー)が就任し、「ひらいていく劇場」を目指して劇場内外で多様な企画を行っている。
そのなかで2024年度に始動したのが、「Step into the world from Matsumoto」(通称StepM)。グローバルな展開に目を向けたダンス作家とアートマネージャーの育成を行う、「松本から世界を目指すダンス人材育成プログラム」だ。育成対象として、3人のアーティスト(⼥屋理⾳、櫻井拓斗、宮悠介)と、1人のアートコーディネーター(八木志菜)が公募を経て選出された。初年度は松本を拠点に、ジャンルを超えた講師陣による講座やフィールドワークを経て作品制作を行い、2025年12月にショーケース、2026年5月に国内公演、2027年度以降には国外での上演を目指す。
4人がはじめて松本に集まったのは3月末のこと。そこから5日間にわたって、下掛宝生流ワキ方能楽師の安田登による講座や、倉田と各作家の対話を通したワークショップなどが行われた。筆者が立ち会えたのはこのうち1日だけだったため完全な記録とは言えないが、何かが生まれようとしていたスタジオでの時間を、まずは少しだけ共有してみたい。
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櫻井拓斗(2002年生まれ)はこれまで、ダンサーでない人との協働によって作品を立ち上げてきた経験を持つ。今回はインターネットミームへの関心を出発点として、女屋、宮、倉田に短いフレーズを振り付け、自ら即興で音を付けて構成することを試みた。それぞれの体が信号機に見立てられたり、蟻地獄と関係づけられたりと、ナンセンスな風景が立ち上がりそうなところに、舞台の正面や動線が設定され、そのなかに体を配置すると、途端に整いすぎているようにも感じられる。櫻井はそのバランスを少しずつ調整したり、動きと音をあえて合わせないことで、混沌とした状態を維持しようとする。一通りフレーズを作り終えた後のフィードバックのなかで、櫻井は「やらされてるというリアリティはあるのかもしれない」と言った。ミームの面白さの前提に擦られつづけたある種の「型」があるとすれば、それはコラージュである以前に、なんらかの質のコントロールに近いものなのかもしれない。「宮さんが吹いちゃうところはぐっと来ました。それは振付ではないから再現性はないんだけど……」と言う櫻井に、女屋が「稽古のときに生まれたその場の面白さは、作品にするときはどうしてる?」と投げかける。「それを再現できる道筋があれば入れる。吹いちゃってもいいけど、それを決め、にはしない」。即興的なアレンジの背後に、それをどのように振付として繰り返し、演出できるのかという問題が見えてくる。
その後、倉田の提案で「体を止める」ワークが行われた。ただ倉田によればそれは、時計の音、タイピングの音、誰かの足先の振動などを聞き、「体を止めてるんじゃなくて空間を止めてるという意識」を持つことだと言う。その後、女屋がスタジオ外のテラスで「止める」をやってみる。室内に残った者たちは見るともなしにそれを見る。外から完全には中の様子がわからない窓ガラスの効果も相まって、予期せずダンサーにとっての見られること、見ることをめぐる会話が生まれていた。
女屋理音(1998年生まれ)は、「構造だけで作品が生み出せるわけではなく、それが身体にアプローチするから自分が動ける。改めて、自分の体にだけフォーカスしたいしたいと思った」と言う。今回は山を借景にして机の上で踊り、それに櫻井が音を付けることで即興的なセッションを行った。うつ伏せから両手で顔を隠して起き上がろうとする動きや、手先だけを机の下から覗かせる動きが印象的である。ところどころに先ほど櫻井の「ミームダンス」で振り付けられた怪獣のような動きもあり、いまにも激しく踊り出しそうなむずかりのなかに、さまざまな素材が流れ込んでいた。倉田のフィードバックでは、「こっちを向いたときに、(観客の意識を)顔じゃなくて、もうちょっと、ただの管とか細胞とか神経とか、そういうのが流れてるだけの、ただの生命体」としての体に向ける意識を持つとよいかもしれない、という言葉があった。これも、動くのではなくむしろ「止める」ことで生まれてくる体の感覚に根ざした意識と言えそうだ。
滞在を通して、「良い作品を作るというだけでなく、どう続けるか、単発の作品を越えた枠組みのなかでいかに作家として生きていくのか、という問いが響いている」と言うのは、宮悠介(1998年生まれ)だ。自身の経験を元にドキュメンタリー的な作品を制作してきた宮は今回、自分とある人物との関係を参加者に打ち明けることを出発点とした。「いまみんなにドキュメンタリーの内容を公開することを、作品の素材として採取してみたい」。そして、その人物にもらった手紙のあるフレーズを繰り返すところから振付を立ち上げることも試みた。数人に読み上げてもらったフレーズを録音して、櫻井がそれを何重にも重ねながらほかの素材と即興で組み合わせた音を伴奏とし、宮もフレーズを機械的に繰り返しながら動く。顔を触る、腹に手を置く、上下に揺れる、などの動きによって、宮自身の発声も音響効果を加えたように変化し、ひとつひとつの言葉が分解されていく。フィードバックの時間で、櫻井は「本当はサンバを流したかった」と語った。「でも躊躇してしまった。これまで感情的なテーマの作品に関わることがなかったので、そこにどのようにアプローチしていくべきか悩みました」。プライベートなモチーフに対する観客としての距離感を考えて、櫻井はサンバではなく、ピアノ曲の音源を選んだと言いう。制作のプロセスに一時的に関わることで生まれるコミュニケーションがある。
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コーディネーターの八木志菜は今回の滞在について、「3人がいままで見たかった、もしくは見たくなかったものを見せられる場所に来て、それに向き合おうとしているのを感じている」と語った。自分自身の体に向き合うことはもちろん、ほかのメンバーの制作を見たり関わったりすることで、振付とは何か、演出とは何か、いかに活動を続けるのかについて、個々が悩み、考え、議論する5日間となったようである。次回の滞在は5月末に予定されている。初夏の松本で、それぞれのアイデアはどのように展開されていくだろうか。