Text by 白尾芽
昨年度にスタートしたまつもと市民芸術館のダンサー育成プログラムStepM。今年から育成対象者の滞在と制作が本格的に始動している。第1回でレポートした3月末の滞在(→記事はこちらから)に続き、5月末に松本でゲストを招いたワークショップと制作が行われた。このうち筆者が立ち会った2日間について、スタジオでの様子をお届けする。
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今回の滞在は、まつもと市民芸術館 芸術監督団 団長・木ノ下裕一による「木ノ下歌舞伎*」の方法論やアクセシビリティに関するWS、松本市在住のサーカス・アーティストで「ジャグリング・デ・信州**」主宰の金井ケイスケによるWS、それぞれの制作に関する相談など、盛りだくさんの内容で行われた。
3日目は午後から、金井さんがこれまで参加してきた海外のフェスティバルについてのレクチャー。海外のフェスティバルと言うと有名なダンス・フェスティバルや演劇祭が思い浮かぶが、金井さんが今回教えてくれたのは、街中や郊外の自然のなかで行われるまさにお祭り的なイベントについてだ。金井さんにとって海外のフェスティバルは、「舞台作品とはこうでなければならない」という意識を壊すきっかけになったという。日本でも劇場作品と街のお祭りは共存できるはずなのに、そこは切り離されている。サーカスは街中でも、いくつかの道具があればすぐに始められる。観客は好き好きにそれを見る。高さのある技は、通りすがりの観客へのアピールにもなり、作品が自ずと街に接続されていく。
その後は、実際にサーカスの技(人の肩の上に乗るタワー)をやってみる。まずは座っている人の上に、次は立っている人の上に。立った人の上に立つ人を見るのは、かなり怖い。重心を倒さないで、上の人は下の人の頭にできるだけ脚をくっ付けて。顔も見えず、接触している部分もわずかだが、お互いを信頼して少し接触面を柔軟にしてみる。すると、ふたりで腕を上げてバランスを取れるようになる。最後は、その状態からふたりで前に倒れ込み、前転するという技にチャレンジした。これもかなりひやひやするが、サーカス的な滑稽さとカタルシスが混ざった謎のうれしさがある。宮・櫻井ペアがきれいに成功させていた。
金井さんのWSは、スタジオのまわりでの即興パフォーマンスの制作で締めくくられた。2日間、普段とは少し違った体の使い方に取り組んだ参加者たちからは、「自分でも意外な身体に出会えた」「ダンスではごまかせてしまうような心のブレが出ると思った」との感想が上がった。最後に、「サーカスでは人と人のあいだにつねにモノがあります。お客さんとのコミュニケーションも、メイクや衣裳を含むモノを介している。たとえば自閉症の子どもたちも、言葉でのコミュニケーションには慣れていなくても皿回しには興味を持って、そのまま棒を渡すと輪に入ってきてくれたりします」と金井さん。今回のWSでは、実際のモノと関わる以外にも、たんに自分や相手の体だけを信頼するのではなく、その一部をモノのように認識する、つまり体を切り離すことで生まれる微細なコミュニケーションの契機があったように思う。
3日目の最後は参加者による自由時間。3人は共同での作品制作を試みた。金井さんのWSで体験した体を不安定な状態に置く感覚を、どうすればダンスで起こせるかを模索する。そのなかで出てきたキーワードが「緊張感」。台車に乗ってみる。その状態で緊急地震速報の音を流してみる。女屋が「動く台車の上では片足で立てない」ことを発見する。宮が台車を加速する。櫻井が、大音量で恐ろしい音のノイズ・ミュージックを流す。不意に大きな音が鳴るのは、見る側にも、そして踊る側にもそれなりの効果があったように思えた。しかし、外的な刺激の「効果」は体にとってなんなのか、どうすれば「コンテンポラリーダンス」っぽい動きから抜け出せるのか……。実験が続くなか、倉田のアドバイスでもう一度それぞれの体の感覚に集中力を戻す。先ほどの音楽と、台車の上に片足で立とうとしたときの女屋の感覚(とそこから生まれる動き)を起点に場面を作ってみる。床の上でその感覚をもとに動くのは「再現」でしかないのだが、それを出発点にする。突然大音量でノイズが鳴ると、女屋の驚きや恐怖がこちらにも痛いほど伝わってくる。しかし倉田の言うとおり、女屋はそれを「フィクションの中で解決した」。「フィクションのリアリティ」というキーワードは、翌日にも引き継がれることになる。
翌日、4日目は午後から、女屋と櫻井を倉田が演出するワークが行われた(宮は前日までの参加)。まずはテーマをひとつ決める。櫻井から出てきたのが「八百屋の一生」。八百屋さんをずっとやってきた人はどんな人生だったんだろう。そこから作品作りが始まった。まずは舞台上のある一点にパンを置き(ちなみに劇場のほど近くにある「ポンヌフ」のパン)、女屋がそこに意識を向けつづけながら即興で動く。このパンがさしあたり八百屋の百年の歴史として設定される。女屋はパンとの関係のなかで、前回も行ったように「空間を止める」意識を持ちながら動く。そしてその動きを櫻井が拾いながら、床を叩いたり擦ったり、「空間を止める」動きに合流したりという介入を経て、女屋の「台車」の動きと音楽の組み合わせ、そこからまたふたりの動きへ……と、場面が少しずつ付け足されていく。
倉田は文字通り、個人の体から作品を立ち上げる。それぞれの体が持つ来歴や感情といった要素が抽出されることもあるが、もっとも重きが置かれるのは(そのときの)「体に嘘をつかない」ことだ。だから、純粋な体の反応やあるイメージとの関係、ほかのダンサーとの関係がまずはひとつの出発点になる。誰かと近づいてちょっと恥ずかしくなること、瞬きが増えること、集中力が途切れること、言葉を発したときに「これは違う」と思うこと。それをダンスの動機として拾っていく。もうひとつ、倉田や参加者の口から時折出ていたのが「やってる感」という言葉だった。説明は難しいが、動きが「ただの動き」ではなく、「何かのために行われる動き」のように感じられる状態だと言えるかもしれない。それはたとえば、ダンスがある状態の再現に陥ってしまうこと、体がストーリーに回収されそうになることであり、つまり「体に嘘をつく」ことでもある。しかし倉田はそこで、体にとっての真実を追求するのではなく(その探求はきっとどこかで深みにはまってしまう)、その場に立ち上げられた「フィクション」のリアリティを保持する(そもそもパンが置かれた一点を意識しつづけながら動きを編み上げていく)ことを試みる。
女屋と櫻井が実感を持って倉田の言葉を自分にフィードバックし、何度か同じことを繰り返すなかで体が変わっていく。女屋は徐々に大音量の音楽を制圧し、スタジオの高い天井やその外まで広がる、独自の体の強度を獲得した。女屋の動きへの関わり方を模索していた櫻井は、自分の演出や介入のあり方の暴力性への気づきを通して、最終的にはそれが「どう見えるか」というところに意識が向いていた。制作過程にはひりひりする、どきどきする瞬間もある。それは、それぞれの体に集中しているからこそ何かを渡し合える、信頼関係によって成立するやりとりだったのだと思う。
次の日、東京に帰る前に女屋の個人稽古を見学した。前日、櫻井とのやりとりのなかで生まれた動きがちらっと顔を出すときがあるのに気づいた。偶然組織された動きが体のなかに蓄積され、それが新たな素材になる。毎日多くのインプットがある滞在期間を経て、まったく違う形を持つ素材たちがどのように結晶していくのか、楽しみになった。
* 2006年旗揚げ。公演ごとに異なる演出家を迎え、古典演目上演の補綴・監修を木ノ下自らが行う
** 2021年発足。ユースサーカスやジャグリングクラブを開催し、「誰もが参加できるサーカス」を創造する