初めまして、女屋理音です。
松本での滞在制作について書いていきたいと思うのですが、その前に少し、なぜ私が松本に来るに至ったのか、自分自身の話をさせてください。
私は振付家をしています。
3歳からクラシックバレエを習い始めて、18歳までバレエスタジオに通い続けました。多いときで週に5日、稽古は日付を超えるときもあったと思います。
踊ることが好きだったのかと聞かれると、100パーセントそうだとは言えないかもしれません。それよりも、骨の角度や筋肉の使い方を少し変えるだけで結果が大きく変わってくる身体の仕組みに興味がありました。研究や実験に近いですね。なのでたぶん、表現や演技に関しては、ずっと垢抜けなかった。当時は必死でしたけど、今見るとやっぱり、俯瞰している自分が表出してしまっているように見えます。キラキラとしたファンタジーに、いつまでも距離を取っていたのかもしれません。
大学は舞踊、特に現代的なダンスを軸にしているコースに入学しました。クラシックバレエを習っている最中にも、いわゆるコンテンポラリーダンスといわれるジャンルの踊りには触れていたのですが、はっきりと切り替えたのはこのタイミングです。それは地元を離れたことにも起因しますが、大学でメインとされていたのがそのジャンルだったからというのが一番大きな理由です。プロとしてクラシックバレエをやっていくのは無理だろうなというのはいつからか分かっていました。
在学中は、外部でダンサーとして他の振付家の作品に参加したり、学内のイベントで作品を出したり、とても「人生の夏休み」とはほど遠い、はちゃめちゃに忙しい毎日を過ごしました。
振付家になると決めた(とはっきり決意した瞬間はないのですが)のは、コロナ禍でした。ちょうど大学4年生のタイミングで、いよいよ集大成の卒業公演が、目前に迫ってきていました。
教授からの公演延期のお知らせはあっけなかったと記憶しています。みんな、どこにもぶつけられない怒りや悔しさを抱えながら、散り散りになったまま卒業を迎えました。
授業もなくなり、東京にいる意味を失くした私は、地元の群馬に帰っていました。世界全体に流れていた、ぼんやりとくすぶった重たい雰囲気を私自身も同じように抱え、実家にいることにも飽きていた頃でした。
そんな折、ちょうど振付コンペティションの作品募集がかかっているのを目にします。持て余していた理不尽さと時間を、そこにぶつけてみようと思いました。ありがたいことにそのコンペティションで賞を頂き、少しずつ、振り付けをすることが仕事になっていきました。
そして創作するべき作品の数と比例して、私のモチベーションがだんだんと落ちていくのを感じました。
はっきりとした理由はわかりません。正解がないことに苦しめられていた気もします。そんなの、正解がないのが一番自由で良いじゃないかと言われてしまうかもしれませんが、学生時代、バレエスタジオや大学、コンペティションで、「評価される」という正解を追い求め、そして多くの場合それを手に入れて、「優等生」と言われてきた私にとって、その自由さはあまりにも深い暗闇で、自分が何を目指しているのか、そもそも今どこに立っているのか分からない空間は、逃げ出してしまいたいくらい恐ろしかったのです。
そしてそれを理由に、数年前、ダンスと距離を置くことも考えました。実際に逃げ出そうとしました。今もまだ、手放しに「ダンスが大好き!」とは言えませんし、逃げたくもなります。もしかしたら、これまでもこれからも、ずっとそうなのかもしれません。振付家を名乗りながら、「振付」という行為が何なのか、なぜ踊っているのか、自分でうまく説明ができません。
それでもまだ、ダンスにしがみついている。
それでしか生み出せない何かがあって、それだけはずっと信じている。
そう思って、このプロジェクトに応募することを決めました。
ここでは、踊りとは何か、振付とは何か、なぜ自分が身体表現を選ぶのか、今まで目を背けて突っ走っていた諸々に、嫌でも目を向けざるを得ないと思ったからです。そして、ここでそれらに向き合わないと、いつか自分が折れてしまう気がしました。
長々と自分の話をしてしまいましたが、ここからは松本という場所について、そして滞在について書いていきたいと思います。
私の地元群馬県は、三方を山に囲われています。最近やっとその山を見分けられるようになりました。子供の頃はそんなことは意識していませんでしたが、今地元に帰ると、とてつもなく大きな何かに守られているような安心感があります。きっとそれは、あの土地を囲んでいる山々のおかげです。
だからなのかもしれません。この企画の二次選考で松本に初めて降り立った時、方々から迫り来る山々に圧倒されるのと同時に、親近感が湧いたことを覚えています。なんだか、「帰ってきた」という表現がしっくりくる感覚です。(よくよく見てみたら、長野の山は群馬よりも骨太で鋭利で、違う顔を持っていたことは追々話したいと思います。)
StepMに応募する少し前から、なぜか妙に「雪山」に惹かれていました。それは特に映画の影響が大きくて、マシュー・バーニーの『リダウト』であったり、濱口竜介の『悪は存在しない』であったり、映像として雪山の画が、ぐさりと自分に刺さる感覚です。オーディションで「作品を創作するうえで今興味のあること」について聞かれたときも、「雪山」と答えた記憶があります。
なぜそんなに山に惹かれてしまうのか気になって、5月の終わりに、実際に山に登ってみることにしました。
その日は乗鞍高原に宿泊し、1日目の夕方と2日目の朝に、近くの山道を少しだけ歩きました。山に登り始めた時は冒険の始まりに胸を躍らせていたのも束の間、周りから人の気配がなくなった途端、突然恐怖に襲われました。
今ここで自分が倒れても、誰にも見つけてもらえない恐怖。
今スマホの充電が切れて道に迷ったら、永遠にこの山から抜け出せない恐怖。
想像が想像を呼んで、坂道を転げるように恐怖が増幅していくようでした。そうなると、前に進もうとする足がこわばってきて、思うように動いてくれません。
そこで思い切って、いったん立ち止まってみることにしました。恐怖を拒否するのではなく、すべてに耳を傾けて、空間を受け入れる感覚。
実はこの感覚は、稽古場で倉田さんや他のメンバーと試していたものでした。
すべての音を把握して、無音にする。
止めようとせずに、それ自体になる。
すると、山が抱えているうねりや呼吸のようなものが、自分の体内に流れ込んでくる感覚を抱くようになりました。それは初め少し気分が悪く、どうしていいか分かりませんでした。
リズムを合わせようとするとこちらが引きずり込まれてしまいそうだったので、私自身に流れるリズムと山のうねりで、新たに旋律をつくっていくように自分の体を誘導してみました。
具体的には、呼吸のテンポを変えてみたり、筋肉の緊張と弛緩をつくりだして少し動いてみたり、という感じで。
山が受け入れてくれる、と言うと少しスピリチュアルかもしれませんが、実際、「把握できた」というポイントが必ずあります。そしてそこを通過すると、その後なぜかするすると歩けるようになるのです。
そうして何度も立ち止まりながらなんとか山を登って下り、宿に戻ってくることができました。
よく、「田舎は流れている時間がゆっくりだ」と言われます。ですが私はこの登山を経て、山が内包しているものの豊かさ、そして内側で起こっている回転数の多さを感じ、けっして情報量の少なさから来る遅さではないのではと疑問に思うようになりました。
都会で流れている時間が早いのは、情報の流れがシステム化され、それが可視化されていることが理由なのではないでしょうか。自然が抱えている情報の伝達システムは、人間が把握できないほど複雑で素早く、それでいて緻密に計算され尽くされているように感じます。
真っ白で足跡ひとつなく風の音しか聞こえないにも関わらず、その内側ではとてつもなく大きなエネルギーが渦巻いている。私が雪山に惹かれてしまうのは、その豊かさに魅力を感じているからではないかと思います。そして、そこで何かが起きても、誰にも知られないまま大きな自然にスッと回収されてしまうような恐ろしさにも、同時に惹かれている。そうした身体で居たいと思うし、そういった恐怖にさらされていたいとも思ってしまうのです。
これがどのように作品になっていくのか、自分にもまだまったく分かりません。ただ、そこに何か踊るための手がかりがあることは、直感的に信じられそうです。
正解がないからこそ、きっとこうして、自分が確かに信じられるものをつたっていきながら何かに辿り着いていくしかないのだと思います。もしかしたら、辿り着くべき何かなんてものも存在しないのかもしれませんが。
答えを開いて◯か✕かと判断する手軽さでは手に入れられない何かを、滞在を通して時間をかけて探っていきたいと思っています。そうして何かしらの形になったものを皆様にお見せできる日を、心から楽しみにしています。