はじめまして。Step Mでダンス作家として参加している。櫻井拓斗です。
私は、別に知名度が高い人間ではないので、この場を使ってまずは簡単に自己紹介をしておきたいと思います。
このレポートでは、簡単に生活する中で、ダンスと接続して気になることや考えていることをつらつらと書いてゆきたいと思うので、ぜひ継続して読んでいただけると嬉しいです!
櫻井拓斗…誰?(ダンスとの出会い→小学生ダンスカンパニー旗揚げ期)
簡単な私のプロフィールです。
名前・・・櫻井拓斗(さくらいたくと)
生まれ年・・・2002年3月
出身地・・・群馬県
肩書き?・・・ダンス作家、ダンサー、演劇やダンス作品の音響や劇伴の作曲なども行なっています。
ダンスとの出会い
ダンスを明確に始めたのは2009年ごろで、小学一年生の時です。当時は、未就学児は観劇できない公演がほとんどでした。小学生になった春、観劇好きだった母に劇場へ連れて行かれた一発目でコンテンポラリーダンスを見たことをきっかけに、コンテンポラリーダンスに惹きつけられ踊り始めました。私の小学生の頃の夢は発明家で、当時ダンスを始めたきっかけも、運動として踊ることよりも、ダンス作品を”つくる”ことに強く惹かれて活動を始めたのだと思います。コンテンポラリーダンスは、他のダンスジャンルと比べて作品としてつくるという要素が強くあるように当時は感じたのでしょう。
始めたい気持ちはあるものの、、、
では、いざコンテンポラリーダンスを始めようと思うわけですが、地元群馬県では、当時コンテンポラリーダンスの教室があるわけでもなく、とりあえず地元のストリートダンス教室に入り、ヒップホップとブレイクダンスを練習する日々を過ごしていました。 (この話は少し脱線するのですが、コンテンポラリーダンスを始めようと思った時に、まずバレエやらなきゃ!と思って、地元のバレエ教室に片っ端から電話をしたのですが、そもそもダンスの経験のない小学生男子の面倒を見てくれる教室に出会えなかったんですよね。)そんなこんなで、地元のストリートダンス教室と、都内近辺での観劇、単発のワークショップなどに参加しながら過ごしていた小学生低学年期、コンテンポラリーダンスをつくりたくて始めたのに、ダンスを見るか、技術を習うかばかりでフラストレーションを募らせまくっていたんですね。
そしてある日、つくる機会は自分で作らなければ来ないのだと悟り、少年時代の私は行動に出ました……
和室ダンス公演という遊びの発明
ダンスをつくる機会をつくりたいと必死だった私。そこで思い立ったのは定期的にダンス作品をつくっては、自宅の和室で家族に向けて公演を打つという遊びでした。結構手がこんでいて、カーテンで幕をつくり、CDプレイヤーで音響、デスクライトで照明、手書きのチラシとチケットを用意していました。(基本的にチケットの整理番号は1番まででしたが。笑)
私は男三兄弟の次男です。そこで、和室公演をやるとなると、兄と弟は強制的に駆り出されるわけです。観客は母親でした。兄や弟を踊らせたり、音響や照明をやらせたりと、なかなか強引な振付家として、和室公演を重ねてゆくうちに自然と週末は兄弟3人で、作品をつくるという流れができていきました。
小学生ダンスカンパニー旗揚げ
和室公演を重ねてくうちに、次の課題として身内(母)だけに向けて公演をしていては持続性がない!外に出なければ!と思うわけです。そこで、当時、学習院女子大学で行われていたコンドルズ振付コンペティションの募集を目にし、兄弟3人で団体をつくり振付を申し込みます。ここで出来上がったのが、小学生ダンスカンパニー『カモンウルフ』という団体です。これが2010年、少年拓斗8歳の頃のことでした。名前も含めてなんとも初々しくてちょっと恥ずかしい話ですね笑
2010年のコンペティションではコンドルズというダンスカンパニーの近藤良平さんらが、審査員を行なっていたのですが、そこで最年少優秀賞という賞を特別につくってくださり、人生で初めて受賞という経験をしました。当時の審査映像がこちらです。
そんなこんなで、小学生ダンスカンパニーを立ち上げて、私のダンス作家活動?は始まってゆきました….
今回の自己紹介はこのあたりで!
ダンスとの出会いと、小学生ダンスカンパニー旗揚げ期はここまで!
次回は、小学生ダンスカンパニーの活動と、コンテンポラリーダンスと距離を置いた高校時代などの話を書いてゆこうと思います!引き続き読んでもらえると、そしてStep Mにも興味を持っていただけると嬉しいです!

