昨年12月に試演会を終えたStepM。3人のダンス作家は、今年5月の本公演に向けて作品のブラッシュアップを進めている。一方、1年間の彼らの活動に伴走してきた舞踊部門芸術監督の倉田翠は、自作の制作から客演まで、各地を飛び回りながら活動している。最初の1年の集大成となるショーイングを終え、倉田は3人の作家やStepMをどのように見つめ直しているのか、話を聞いた。
聞き手 白尾芽
─ まずは、ショーイングを終えての率直な感想を教えてください。
3人ともきっちりと作品を作っていたし、ゲネプロから1日目、1日目から2日目と、どんどん良くなっていたように思います。観客の方からは、「ショーイングなのでもっと未完成な状態なのかと思っていたら、作品らしい作品が上演されていてびっくりした」という声もありました。それはもしかしたら、想像より小さく収まっていたということかもしれないし、もうちょっと実験できた部分があるのかもしれない。特にダンスは演劇に比べると「良さ」の基準が曖昧で、人によって何を重視するかも大きく違います。そのなかで作家にできるのは、色々なフィードバックをもらいつつ、自分にとって譲れないものは何かを探していくことだと思います。
私としては、StepMの活動を通して、アーティストを育成するとはどういうことなのかを問われた気がしました。最近女屋さんがすごくいいことを言っていて、ここに来て「自分には特別な才能があるわけじゃないということがわかった」と。3人ともすでに評価されている作家ですが、みんなここで振り出しに戻りにきたんじゃないかなと思います。だからこそStepMでの育成も、作品を作ってもらって、フィードバックをして、あとは自分で考えてブラッシュアップしてください、ということにはしたくなかった。自分にとって作品を立ち上げるということは、運動としてのダンスと思考を結びつけるプロセスそのものなので、育成も根本的なところからやりたかったんです。そのなかで、いまは3人それぞれ自分の体の内側にあるものを見つけられているので、そこから一歩引いて、具体的にどう動きだせるのか、いかに作品という形にしていくのかを、一緒に考えていけたらいいなと思っています。5月の本番に向けて、これまでより客観的な視点でそれぞれの稽古に立ち会っていくつもりです。

─ 昨年はStepMの開始と同時にたくさんのインプットがあり、3人にとっては本当に振り出しに戻って、一から自分の体や制作を見つめ直す時間だったのではないかと思います。ショーイングは、その意味でまさに「現在地」を示すものでした。それぞれの作品についてはいかがですか?
女屋さんは徹底的に体そのものを見せる作り方をしています。私は誰かの体に「その人性(ひとせい)」をぶつけることで舞台に立たせるという手法を取っていますが、女屋さんはその対極で、言ってしまえばソロの体が「見ていられる」ものであればいい。一度、ショーイング前の稽古で、「その映像〔作中に登場するホームビデオ〕を見て何か感じてる? もう何も思ってないなら、思ってるふりして見なくていいんじゃない?」と言ったことがありました。つまり、そういう「ふり」のような、自分がその場に立つために必要だと思っている色々な装飾が取れていったときに、体が一番強度を持つのではないかということです。作品ではかなり自分に負荷をかけていたけれど、実は彼女自身がそれほど感情的に何かを表現する存在ではないのかもしれない。もっと日常的なこと、暮らしとか、いつも綺麗にしているネイルとか、そういうものにヒントがあるのかもしれない。これから、女屋さんにしかない説得力を体の側から見つけていくことができたらいいなと思っています。
宮くんはいまだに未知数な存在(笑)。ひとつ思うのは、そんなに難しいことを考えずに、一回「空(から)」になってみていいんじゃないかなということです。彼は、街中で即興で踊った映像を撮りためてSNSに上げたりしているんですが、それを「一回完コピしてみたら?」と提案したことがあります。自分を空洞の容れ物みたいにして、そこに違う自分を入れてみると何が起きるんじゃないか。実は私も違うやり方で似たようなことをしているときがあります。体は道具なので、そこにどんなモードの自分を入れておくかによって、作品のなかで発する言葉や動きの見え方が変わってくる。ただひとりの自分、ではなくて、その体に違う種類の自分を通過させることで、目の前のお客さんにチューニングをあわせることができるんです。宮くんも、自分と自分の体を切り離してみると、もっと自分自身のことを面白がれる気がします。
櫻井くんにとっては、ダンスがある種の逃げ場なのだろうと思います。でも、まだ普段の体と踊るときの体に大きな差があって、何か大きな衝撃を与えないとそのモードに入れない。ただ、無自覚に内的な動きの衝動とムーブメントがつながっていて、彼がそこに立って動き出すということにものすごく説得力と根拠がある。そして彼は今回共演者と一緒に作品を作っていて、それはつまり、人と生きていくのを諦めたくないっていうことなんだと思います。では、どうやって人と作ることができるのか。共演者に対して、「何か言いたいことない?」というのはおこがましいわけです。何を言ってほしいかは自分が決めないといけない。優しさだけでは他者の人間性から作品を立ち上げることはできないから、「人をどう動かすか」の技術を身につけていってほしいなと思います。
──それぞれ作家性や方向性は違いますが、自分が踊ることのもう一歩先に進んで、「演出」を磨くのが共通の課題であるように思いました。倉田さんもほぼすべての作品で作・出演・演出を両立されていますが、どのように全体を組み立てているのでしょうか。

自分の作品に出演する場合は、客観性を担保するのは非常に難しいです。私は舞台に立つとき、「客観性の枠」みたいなものを天井のほうに意識しています。踊るときは、その客観性の枠から自分をバーンと蹴り落とす。「渦中にいる」自分と、枠の視点にある自分を高速で往復しているような感覚です。ずっと俯瞰しているだけではだめだし、枠を忘れるほど渦中にいたほうが良いときもあります。もうひとつ大切にしているのは、「目の前に見ている人がいる」という事実は絶対に無視しないということです。それは舞台がフィクションであっても嘘がないことだから、目の前のお客さんを認識しようとする。そのリアリティを手放さないことはとても大切だと思っています。
あとは、akakilike*というチームの演出助手はダンスが専門ではないので、稽古でも全然反応がなかったりします(笑)。そういうときは、この人をいかに説得できるかを考える。上手に踊ればいい、切実さに逃げればいいというわけではなくて、訳はわからないけど説得力がある、という状態をいかに作れるかを稽古の段階から大事にしています。自分と観客の視点のあいだにあるギャップを少しずつ埋めていく感じです。3人も「自分に正直になる」ということはもう十分やってきたので、一度観客の視点から自分の作品を見てみてほしいです。作品は、最終的には観客のものとなるべきだから。
─ この1年は、フィジカルな部分とコンセプト的な部分、そして作家としてのキャリアや制作するうえでの態度を切り分けず、地続きに考えるためのレッスンが行われていたように思います。
ここまで話したようなことも、結局「〜と、私は思う」としか言えないな、という悩みはありました。ずっと誰かに影響を与える一点になることへの抵抗みたいなものがあったんです。でも、みんなが何かを学びたい、そして私も何かを手渡したい、と思っているのであれば、躊躇せずにできることをやっていきたいなと、あらためて思っているところです。ただ、この1年間、私の精神性を良くも悪くも3人に移植してしまった気もしていて(笑)。ダンスもほかの芸術分野と同じように、誰かに学び、情報を得て、影響を受けながら自分のものにしていくわけですが、私は学生のときから、「自分の師にできないことは何か」をすごく考えていました。圧倒的な影響を受けつつも、ある種の反発心によって、自分にしかできないことを探す。私のこともそういう風に使ってほしいんです。
─ 今後、3人にはどのように作品を作っていってほしいですか?
このStepMは、それぞれのキャリアの途中に、ブラックボックスのように突然置かれたものだと思っています。これまでの制作とは違うレベルで多くの人にフィードバックを受けたり、海外展開の話があったりもする。迷いや戸惑いがあるのも当然だと思いますが、とても贅沢な時間を過ごせているはずなので、この環境をうまく使ってほしいですね。一方で、やっぱり作品を作るときには、自分が楽しくないとやっている意味がないと思うんです。他人からの期待を考えるのではなくて、自分自身に期待して、「面白い」「楽しい」と思うことを貫いてほしい。そして、社会に対して言いたいこと、問いたいことを表現するための方法を見つけていってほしい。
私自身いつも思っているのは、面白い作品が見たい、良い意味で傷つきたい、ということです。生身の人間を見るということがいつまで行われるかわからない昨今、観客になんらかの衝撃やショックを与えること、その価値を提示していけないと舞台芸術には勝ち目がない。この時代に、3人にはダンスをやる必然性があるんだと思います。そして、そういう人は作品を作りつづけていける可能性がある。私は一緒に作っていく仲間がほしいんです。現実的な理由で作家をやめてしまう人はたくさんいます。だから将来的には3人にも、「最近どんな感じ?」「どんな問題意識で作ってる?」と作家の友人として話ができる存在になってほしいし、自分もみんなにとってそういう存在でありたいと思っています。
(2月19日、横浜にて収録)
* 倉田翠主宰の団体。テクニカルスタッフと倉田翠のみで構成され、主に舞台作品を作る。近年の作品に『病癒えし者の着色された魚への聖なる感謝の歌』(2025、倉田翠/akakilike名義)、『希望の家』(2024)など。
